2012年4月7日土曜日

現代の教育問題について

昨日は”学びの復権”から引用させてもらった。
今日は最近考えている教育の問題点について書きたい。

僕たちは幼いころやりたいことを持っていただろうか。
あまり思い出せないけど、やりたいことがなかったわけではないだろう。
少なからず何かに興味を持ったことはあったと思う。

「それでは儲からないからやめておけ」
「それで食っていけるのか」

ときどき、そんな意見を聞いて尻込みしてしまうことがある。
それは今日本がとても苦しい経済状況にあるから出てくる言葉なのかもしれない。
しかし、これが現代教育の問題点ではないか。

現代教育に欠けているのは圧倒的なプロの技を見せつけることではないか。
その道を極めるとどんな人になれるのか教えてあげることではないか。
興味をもったことを思う存分させてあげることではないか。

「そんなこと考えなくてもいいから、勉強しなさい」

なんて言葉で片づけられては学習意欲なんて育つわけがない。
目的も分からずに勉強できる人はなかなかいない。

現在の教育が詰め込み教育をさらにパワーアップさせたようなものに
戻ろうとしていることに対して強い危機感を感じています。
教育のありかた、再構築を真剣に考える時期に来ているのではないでしょうか。

2012年4月6日金曜日

2005年 学びの復権より

昨日なんとなく家にあった学びの復権を読みました。
”学びの復権”とは僕の高校で毎年配られる先生から生徒へのメッセージ集のようなものです。
今日はその中からひとつ紹介したいと思います。
尚これを英訳するのはとても難しいので今日の英訳はお休みにします。
(以下、学びの復権より引用。なるべく誤字のないように頑張ります。あったらすみません。)


      「勉強して何になるのですか」への返信     教頭 名越 和範

 それはやってみなければ分からない。初めから分かっている人などいないと思う。また同じことを勉強してもその結果は人さまざまだ。

 いきなり突き放すようなことを書いてしまったが、そもそも「なぜ」という疑問は、自分の思っていることと現実が食い違っているように感じられるところに発せられる。ということは、一致している(と感じられる)場合は出てこないことばなのであって、現実をそのまま受け容れる人や自分の頭でものを考えようとしない人からは絶対に出てこないことばである。つまり、「勉強して何になるのか」という問いの裏には「勉強したらよいことが何かあるはずだ」という推論があり、そしてその「よいことの実感が今得られない」という渇きがあるのだ。ただ、激烈な競争に明け暮れている全国の受験生にとってそのような疑問が浮かぶことは危険である。そんなことを考えていれば周りに置いていかれてしまうからだ。しかし浮かばないことが確実に良いこととも思えない。「よいことの実感」の内容によっては、本人の将来にも周囲にも不幸をもたらす危険性だってあるからだ。

 人生も似たようなものだ。どうせ最後には死ぬに決まった人生に何の目的があるか、初めから決められた答えなどないし、まして戦争の時代に生まれたり、言論の自由が制限される国に生まれたり、金持ちでないあるいは不仲な親のもとに生まれたりしたら、「生きて何になるか」と自問せざるを得ないだろう。一方あまりにも恵まれすぎて生まれたための不幸せだってある。十分な自由を与えられたことで、逆にどうしていいかなかなか決められない場合もあるのだ。いつでもどこでも、人間は不条理を抱えて生きている。問題は目的を人から与えてもらうか、自分から探しだすかである。
 好きなことをしていて「それで何になるのか」と自問する人は見たことも聞いたこともない。だから探しだすべきは「勉強して何になるか」の答えではなく、「自分は何をしたいか」の答えである。勉強はそれを見つける方法の一つでもあり、実現する手段の一つでもあるのだ。

 豊かさを実現した国ではほぼ例外なく教育問題が起っている。経済発展の途上にある国では問題がないのではなく、たぶん「勉強して何になる」という根源的な問いかけに対してそれとは直接関係のない、目に見える生活保障が用意されているからだろう。「勉強すればお金持ちになれる」「勉強すれば人から尊敬される地位につくことができる」等々。それは一定の経済発展がなされた後では答えにならない答えになってしまう性質のものではないか。事実日本ではそうなってしまったのである。30年ぐらい前までなら、イヤであろうが何だろうが我慢してやりさえすれば、結果として一定の収入を得たり社会的地位につくことができたりしたかもしれないが、今はそうとも限らない。

 では昔のほうが幸せだったのだろうか。一定の収入を得、社会的地位につくことは、いってみれば人生の「手段」であって「目的」ではない。それを昔の人は錯覚したままでもそのことに気づかずに済ますことができただけの話である。今となって、その矛盾は社会のいたるところにころがっている。君たちはそれを毎日見ているから疑問がわいてくるのではないだろうか。そういう意味では鋭い疑問なのかもしれない。でもそれを自分がしないことやできないことへの理由にしてはいないだろうか。果たしてそれでよいのだろうか。

 君たちが幼いころ言葉を覚え文字を知り、算数のたし算ひき算ができるようになった時のことを思い出してもらいたい。それらが身につくことは無条件にうれしいことではなかっただろうか。一つひとつのことが覚えられ、できるようになっていった時は親も子も同じように感動したのではないか。それが、学校という場で成績がつけられ序列化されることを通じて、学ぶことの本来のよろこびと、よい成績を納めるよろこびとが混同されるようになってしまったのではないだろうか。そう、君たちは「学歴競争社会」へ足を踏み込んでしまったのだ。結果が全てに感じられる社会ではよほど脳天気な人でもないかぎり、上にいても下にいても、それぞれに苦悩がつきまとうものだ。ではどうしたらそのような社会から精神的に抜け出せるのだろうか。

 競争は悪者扱いされがちだが、ゲームにおいてもスポーツにおいても必要不可欠なものである。勝たなくてもいいやと思って練習する人はいないし、ゲームで相手を負かそうという気もなくやっている人はゲームをぶちこわす人でしかない。競争にはそれによって自分や社会を向上させ面白くする部分が確かにある。しかし勝利至上主義になってしまうと弊害も多い。競争にはそのように両刃の剣の要素があるのだ。大切なことはゲームを降りてしまうことではなく、卑怯な手を使って勝つことでもなく、正々堂々とゲームに参加し続けることである。

 勉強することを競争と考えずに切磋琢磨ととらえよう。人と比べるよりも過去の自分と比べよう。そして多くを知っているだけで満足せずそれらを人生観や世界観にまで高めよう。自分を知り、社会を知り、そこから自分の志を探しだそう。うまくいくとそれは「使命」といえるものになるかもしれない。誰もが何か能力をもっている。それを見つけ出しうまく生かしていくことができたら、勉強の楽しみを発見し人生を豊かにすることになるのではないだろうか。勉強して何になるかの解答は、あらかじめ決まったものではなく、君たちが自分自身をごまかさず勉強と向かい合って作り上げていくものなのだ。


2012年4月5日木曜日

再稼働

あのですね、再稼働について書きたいと思うんですけども、
はっきり言いまして僕は反対なわけですわ。

再稼働とストレステストの結果は結び付かない。
ストレステストの結果安全なので再稼働、というロジックは成り立たない。
福島のようになる可能性が少しでもある限りは
再稼働を容易に許すことはできない。

しかし電力不足の問題についてはさらに議論を重ねなければならない。
そして正しい情報を仕入れることと、自分の意見を持つこと、
これを続けていかなくてはならない。

2012年4月4日水曜日

効率

僕は自分のことを効率が悪いと思っている。
いつも効率がいい人の事をうらやましく思っている。

みんなに平等に一日24時間が与えられているのに
なんでこうも差が出てしまうのだろうか。

そんなことを考えている間にまた差がついてしまうのだろうけど。

2012年4月3日火曜日

進路

今日は僕の友達の後輩と会った。
進路のことについて教えてくださいとのことだった。
「就活と公務員講座の両立はできますか?」と。

今年度は本当に悩み続けた一年だった。
去年の今頃は公務員になろうと思っていた。
それがインターンシップで世界観が変わり、
就職活動でいろんな人と出会い、
進路について悩み続け、
今は一般企業を受けと思っている。

僕は公務員になれば安泰だからとか、地元に帰れるから、
という理由で進路を決めてしまっていた。

まずやりたいことを見つけるのが先ではないか。
まだそれが見つかったわけではない。
だけど、悩んだ分だけやりたいことに近づけるような気がしている。

これから就職活動する人へ。
やりたいことを見つけてください。悩んでください。

今日は以上。

2012年4月2日月曜日

知力をつけること

学ばなければならないことはたくさんある。
例えば原発の問題や政治的な問題。
自分の意見を持つことが必要だ。

しかしここでいう自分の意見とは、マスメディアに作られたものであってはならない。
自らの意見を発表するためには十分な知力を養わなければならない。

そのため、まず調べること。
何も調べずに何か発言することは控えよう。
高くアンテナを張り、問題意識を持とう。

2012年4月1日日曜日

プリンシプルはあるか

師匠の茂木先生から聞いた言葉だ。
実際には白洲次郎さんの言葉らしい。

最近この言葉をよく自分に投げかける。

「現代教育にプリンシプルはあるのか。」
「政治にプリンシプルはあるか。」
「お前の生き方にプリンシプルはあるのか。」

力強く前に進んで行くにはプリンシプルが必要だ。
道に迷ったときは、プリンシプルに立ち返ってみてはどうか。