ここのところ竹島や尖閣諸島の問題でメディアは話題に事欠いていない。しかし、僕はメディアはかなり暴力的な報道をしていると考えている。なぜなら、竹島・尖閣はもちろん日本の領土であり、それが他国によって一方的に侵されようとしているという趣旨の報道しかなされていないからである。
僕が知りたいのはどういう経緯があり、竹島・尖閣諸島が日本の領土であるという主張が担保されているのかという部分である。そしてどういう理由で韓国、中国がそれぞれ自分の領土だという主張をしているのかということである。
ここまでその理由や動機が報道されないとなると、そこにはそのようなものはなく国家間においても「早い者勝ち」の理論が適用されているかのように感じる。実際のところどうなっているのかは知らないが、そうでないことを願いたい。相手より早く実効支配をしてしまおうという考え方もあるかもしてないが、それを報道するのではなく僕たちが本当に気になっていることを報道してほしい。
2012年9月12日水曜日
2012年9月11日火曜日
バカの壁
この頃、自分のことだけしか考えていない人、つまり自分よければすべてよし、というスタンスで生活している人を本当につまらないと思いだしていた。ただ、その理由が自分でも良くわかっていなかった。
先日図書館から養老猛司先生のバカの壁を借りて読んでいた。その中にこの疑問を解決するヒントが書いてあったので記しておく。
バカの壁 第5章 無意識・身体・共同体 理想の共同体 より要旨のみ掲載
理想の共同体への一つのヒントは「人生には意味がある」という考え方である。アウシュビッツの強制収容所に収容されていたV.Eフランクルという心理学者がいる。彼は「夜と霧」、「意味への意志を求めて」など多数の名著を残している。その著書や講演の中で、彼は一貫して「人生の意味」について論じた。そうして「意味は外部にある」と言った。「自己実現」などと言いますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周りの人、社会との関係から生まれる。
この文を読んでなぜナルシストが嫌いなのかが良くわかった。彼らは自分のことしかしゃべらない。他の人との関係性が感じられない。そしてその関係性を大切にしていない。彼らが大切にしているのはまさに自分自身だけなのだと気がついた。外部との関係性を大切にしてこそ人間は輝くのだろう。
先日図書館から養老猛司先生のバカの壁を借りて読んでいた。その中にこの疑問を解決するヒントが書いてあったので記しておく。
バカの壁 第5章 無意識・身体・共同体 理想の共同体 より要旨のみ掲載
理想の共同体への一つのヒントは「人生には意味がある」という考え方である。アウシュビッツの強制収容所に収容されていたV.Eフランクルという心理学者がいる。彼は「夜と霧」、「意味への意志を求めて」など多数の名著を残している。その著書や講演の中で、彼は一貫して「人生の意味」について論じた。そうして「意味は外部にある」と言った。「自己実現」などと言いますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周りの人、社会との関係から生まれる。
この文を読んでなぜナルシストが嫌いなのかが良くわかった。彼らは自分のことしかしゃべらない。他の人との関係性が感じられない。そしてその関係性を大切にしていない。彼らが大切にしているのはまさに自分自身だけなのだと気がついた。外部との関係性を大切にしてこそ人間は輝くのだろう。
2012年9月10日月曜日
党内代表選
国会も終わり、次の総選挙に向けて党内での代表選が近くなっている。メディアもこの頃はこの話題ばかり。そんな中自分が感じた事を書き留めておく。
現在日本には民主党、自民党という2つの大きな政党があるが、そのどちらからも党内代表選に出馬する議員が多数あがっている。僕はこれはとても大きな問題だと思っている。なぜなら、これだけ多くの議員が代表選に出馬するということは、国会が行われている最中にも党代表に対して違和感や不信感を抱いていた可能性が極めて高いだろうと推測されるからだ。
しかし、その国会中には党内議員から党代表に質問や申し立てをする場面はほとんど見受けられないのではないか。それでいて選挙になると我先にと立候補する。これはおかしいと言わざるを得ない。それでは党代表なんてただの風除けみたいなものでしかないではないか。
それだけ、違和感を感じているなら国会のなかでたとえ同じ政党の代表者にであっても意見の申し立てや、異議申し立てをすべきである。誰のために政治をしているのか。今の政治家は本当に自分のことしか考えていないということになる。
前にも書いたことがあるが、僕はもうこの「党」という考え方やシステムそのものが古いと考えている。これだけ政治家がいれば党内で意見が違うこともあり得るし、一人一人が別の考え方を持っていて当然だと思う。そのなかで党というシステムに従っていくのにはかなり無理がある。日本の政治が変わるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
現在日本には民主党、自民党という2つの大きな政党があるが、そのどちらからも党内代表選に出馬する議員が多数あがっている。僕はこれはとても大きな問題だと思っている。なぜなら、これだけ多くの議員が代表選に出馬するということは、国会が行われている最中にも党代表に対して違和感や不信感を抱いていた可能性が極めて高いだろうと推測されるからだ。
しかし、その国会中には党内議員から党代表に質問や申し立てをする場面はほとんど見受けられないのではないか。それでいて選挙になると我先にと立候補する。これはおかしいと言わざるを得ない。それでは党代表なんてただの風除けみたいなものでしかないではないか。
それだけ、違和感を感じているなら国会のなかでたとえ同じ政党の代表者にであっても意見の申し立てや、異議申し立てをすべきである。誰のために政治をしているのか。今の政治家は本当に自分のことしか考えていないということになる。
前にも書いたことがあるが、僕はもうこの「党」という考え方やシステムそのものが古いと考えている。これだけ政治家がいれば党内で意見が違うこともあり得るし、一人一人が別の考え方を持っていて当然だと思う。そのなかで党というシステムに従っていくのにはかなり無理がある。日本の政治が変わるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
2012年9月5日水曜日
こちらこそ
月曜日のことを書き留めておこうと思う。今週の月曜日に僕の初めての外国人の友達が一年間の留学プログラムを終え、国に帰って行った。彼はフランスから来ていた。僕が彼に出会ったのは大学のEnglish cafeという場所だった。最初はフランス人だとわからず英語で話しかけてしまった。彼は日本語ができたから、英語ができない事をことわって日本語でコミュニケーションをした。
ほんとに日本語が上手だった。その時はただ単に外国人と話せるのが嬉しくて楽しかった。そして僕たちは友達になった。たった4カ月という短い間だったけど、本当に素晴らしい時間を共有できた。その彼が国に帰っていった。
僕はタクシー乗り場まで彼を送って行った。トランクに大きな荷物とギターを入れた。タクシーに乗り込むとき、僕たちは強く握手をした。僕の手を握りながら彼は「ほんとにありがとう。君がいなかったらいろんなことがうまくいってなかったよ。ほんとにありがとう。」と言った。そしてタクシーにリュックを積んだあと、ふいに振り返り「もう一回や。」と右手を出した。僕たちはさっきより強くお互いの手を握った。
僕はこれからもっと学ばないといけない。幸い、周りにいい友達がいることでほんとに素晴らしい刺激を受けている。場所は違っても高い目標に向かって互いに高めあっていこう。
ほんとに日本語が上手だった。その時はただ単に外国人と話せるのが嬉しくて楽しかった。そして僕たちは友達になった。たった4カ月という短い間だったけど、本当に素晴らしい時間を共有できた。その彼が国に帰っていった。
僕はタクシー乗り場まで彼を送って行った。トランクに大きな荷物とギターを入れた。タクシーに乗り込むとき、僕たちは強く握手をした。僕の手を握りながら彼は「ほんとにありがとう。君がいなかったらいろんなことがうまくいってなかったよ。ほんとにありがとう。」と言った。そしてタクシーにリュックを積んだあと、ふいに振り返り「もう一回や。」と右手を出した。僕たちはさっきより強くお互いの手を握った。
僕はこれからもっと学ばないといけない。幸い、周りにいい友達がいることでほんとに素晴らしい刺激を受けている。場所は違っても高い目標に向かって互いに高めあっていこう。
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