2014年7月6日日曜日

もぎけんいちろう

 今日は鳥取市民会館で茂木健一郎をみてきた
僕よりも親のほうがおもしろがっていたのでよかった。

今日その講演のなかで、もぎしゃんが話していたことをメモしておく。

自分がコントロールできることとコントロールできないことがある。
新しいことに挑戦してドーパミンを出す。
新しいことに挑戦することは、不安なことだ。
しかし、それを笑いに変えることが重要だ。

めんどくさいこと、不安なことにチャレンジしていくことで脳が若く保たれる。
雑談をすることが脳に良い。歩くことも良い。
雑談・歩行は脳がアイドリング状態になる。
アイドリング状態にしないと脳が疲れちゃうみたいな話だっったかな?

そんな感じです。新しいことにチャレンジしなきゃなー

2013年9月11日水曜日

いつのまにか

明けまして、とご挨拶してから早いもので9カ月経ってしまいました。卒論、弟の大学受験、卒業旅行、入社式、配属。いろんなことが駆け足で過ぎて行った気がします。僕自身は浮かれたり落ち込んだりしながら、まぁふつうに暮らしています。

このブログを始めた当初は毎日書くことにしていたのですが、今年はやっと2回目の更新です笑 このペースだと年に2回しか更新しないブログということになります(^_^;)

久しぶりに更新してみたのには一応理由があります。しょうもない理由なので書きはしませんが。とりあえず書きたいときに書くことにしようと思います。では、また気が向いたら♫

2013年1月1日火曜日

明けまして

明けましておめでとうございます。昨年は毎日ブログを書くなどと言っておきながら、まったく実行できないという怠けっぷりを晒しておりましたが、今年からはまったりと更新していきたいと思っております。

思い返してみれば、このブログを始めたきっかけは就職活動でした。日々の思いを残しておきたいという気持ちで始めたのですが、日が経つにつれてそんな情熱はどこかへ旅立って行ってしまいました。昨年度は無駄なことも大事なこともたくさん経験できた一年であったし、人生についての価値観も大きく変わった一年であったと思っております。

もうこの春から社会人になります。いまのところ新生活には不安しかありませんが、がんばるしかありません。良い年になりますように。

2012年12月4日火曜日

満福論

今日は”満福論”というテーマで書いてみる。”満福”というのはつまり、「満足」と「幸福」を掛け合わせて作った造語だ。ここのところ人生の意味とか生きることの意味をよく考えていて、そんなときにふっと浮かんできた言葉だ。

世の中にはいろいろな人生がある。革新を作ったり、山も谷もない日々を過ごしたり。人の数だけ人生はある。ただ、自分の人生は一度きりだ。そんな一度きりの人生を少しでもよいものにしたいと誰もが思うだろう。


どうやって人生を豊かにするか。それはその人の価値観による。名誉や地位、お金が大事な人がいれば、愛や家族、友人を大切にする人もいるだろう。一応断っておくが、ここではどちらがいいという対比をしているのではなく単純に価値観の話をしている。


僕の人生はどうだろうか?おそらくだが今後有名人になったり、政治家になったりなんてことはないだろう。来年春から社会人になり、たまに楽しかったり、たまに苦しかったりする人生を送るんだろう。ほとんど見えているのだ。


そんなかけがえのない人生をどうやって充実したものにしていくか。一日に一回でいいから「幸せだな」って感じること。それは難しくても、なんでもいいから満福感を味わうこと。そんなことでしかない。

今まで誰か何かと自分を比較しながら、これじゃだめだとかもっと勉強しなきゃとかいろんな焦燥感と戦ってきたけど、ほんとはそうじゃないのかもしれない。というかそうじゃないんだと思う。自分が大切だって思うものをもっと大切にしてもいいんじゃないかな。

2012年11月21日水曜日

わかったフリ(2)

僕たちは日々いろんなことを見たり聞いたりして、納得したり、理解したりしている。ただその納得とかわかるってことが、最近ただの"わかったフリ"になってるんじゃないかって思うんです。

相手の人のことを"わかった"って思う。だけどほんとはそんなことありえないんじゃないかって。とりあえず"わかった"って思わないといろいろすすまないから、とりあえず"わかった"ってことにして過ごしてるんですよね。

23ともなるといろんな友達がでてきて、そいつらがどんなだったかとか今どうしてんだとか考えてみたりする。ただよく考えるのは、世間一般的に見てダメダメな友達か、よくできる友達のこと。あいつはこうだからダメだとか、○○君はこうだからすごいとか考えたりしてみるんだけど、よく考えたらそんなこと誰にもわからない。もしそいつが明日死ぬとしたらどうか?あと3カ月の命だったらどうか?なんて考えてみるとダメとかいいとかいう概念が変わってくる。


その日一日幸せだったかとか精一杯やったかとかそういうことが大事なんだよな、たぶん。それは主観によるものだから、自分の尺度を他人に押し付けちゃいけないんじゃないかな。自分に比べてあいつはこうだとか、そういう比較からはなにも生まれてこない。


んで結局なにが言いたかったんだろ?ちょっとこのテーマはまだちゃんとできあがってないな~。とにかく、自分にとってなにが幸せなのかとか今日一日幸せだったかとかそういうのと向き合っていくしかないんだろうな~。

2012年11月15日木曜日

わかったフリ

僕たちは普段わかったようなフリをして生活している。根本的に「理解する」ってことがほんとは難しいってことに気付いてない。わかったようなフリをして人生観を語る。相手の気持ちがわかったような気になる。

ほんとは100%理解できるわけじゃない。もちろん自分で定義したり、作りだしたりしたものについては別だけども、ほとんどの場合において「わかる」ってのは難しい。「わかった」と思った瞬間にその情報については更新されなくなる。常に柔軟に更新し続けていくことを心がけたい。

2012年11月12日月曜日

幸せの尺度

幸せというものを考えてみる。私たちは、様々な瞬間に幸せを感じる。おいしいものを食べたとき、何かを達成したとき、同じ感情を共有できたとき。幸せとは人それぞれな価値観に所属するものだ。僕は常日頃からどうやったらみんなが幸せになれるのかを考えている。ただ、考えるほどにみんなが幸せになれることなんてないんじゃないかと思ってしまう。

人が幸せだと感じるとき、僕たちは誰か何かと比較をしているのではないか?前の日の晩御飯に比べて今日のランチが豪華だったり、先週の仕事に比べて今週の仕事が楽しかったり、そんなときに幸せを感じたりする。それはいいのかもしれない。ただ、僕はよく「日本人でよかった」と思うことがある。それは他の人と比べた幸せだ。世の中には他の人と比べて感じる幸せというものもある。そう思うとそんな人がいてこそ人は幸せになれるのかもしれないと考えてしまう。

そうやってなんとか納得して得られる幸せがあるとすれば、みんなが幸せになることなんてできるのだろうか?そうやって幸せを感じているうちは誰かが不自由を感じている。そうして納得して幸せを感じている僕たちは、僕たちの幸せを思いやりにしてもっと配らばければならない。